生々しい身体感覚
(イメージ画像)
ネット番組からの着眼:「循環」の認知学現代の日本は、静止した水槽に似ている。
僕たちは、一日の行動の8割以上を、無意識のルーティンの中で繰り返している。統計によれば、ヒトの行動パターンは93%の精度で予測可能だという。それはエネルギーの最適化だが、同時に、生体としての「飽き」を招き、報酬系という脳のエンジンを腐らせていく。
幸福について考えるとき、多くの人はそれを形而上学的な、あるいは道徳的な何かだと勘違いしている。だが、幸福には明確なメカニズムがある。それは「やってみよう」「ありがとう」「なんとかなる」「あなたらしく」という4つの因子に因数分解できる、極めて機能的な状態のことだ。
僕が最近注目しているのは、沖縄県の南城市や、あるいは自然体験の本陣で行われている「草刈り」という行為だ。
多くの人は、草刈りを「重労働」や「奉仕」という古臭い言葉で片付けようとする。だが、それは機能的な誤解だ。厚生労働省が掲げる身体活動の基準に、週23メッツという数字がある。手刈りによる草刈りは、ウォーキングを遥かに凌駕する強度を持ち、この基準を効率的にクリアする「最強の体幹トレーニング」になり得る。
さらに、そこには「異物」という視点が必要だ。組織論において、異物が組織を活性化させるのは定説だが、それは個人の脳にも当てはまる。日常という均質なルーティンの中に、ボランティアや肉体労働という「異質なピース」を意図的に放り込む。その刺激が海馬を揺さぶり、停滞していたドーパミンやセロトニンを再起動させる。
他人のために動くことで得られる「ヘルパーズ・ハイ」は、単なる精神論ではない。それはオキシトシンやエンドルフィンが血流に乗って全身を巡る、生理学的な報酬だ。樹木の香りを吸い込み、免疫グロブリンAの濃度を上昇させながら、自らの身体を調律していく。
「続くことは楽しいこと」だ。
だが、それは同じことを繰り返すことではない。自らの機能を確認し、他者との「緩やかな繋がり」の中で喜びを配り、そのフィードバックで自分という組織をアップデートし続けることだ。
自己犠牲はいらない。
無理な要求ははっきりと断ればいい。大切なのは、自分の在り方を整え、内側から溢れ出たエネルギーを、戦略的に社会へと循環させることだ。
生きることは、機能することだ。
水槽の水を腐らせないために、僕たちは今日も、意図的に「異物」を取り込み、汗をかき、この世界との幸福な摩擦を楽しなまければならない。
それを、「循環」と呼ぶ。
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