40点分の余白に
(イメージ画像) 振り返りからの着眼:60点満点の清々しさ 60点の微熱、あるいは静かなる逸脱 完璧を求めるというのは、一種の病気だ。 それも、きわめて質の悪い、自覚症状のない病気だ。 僕たちはいつの間にか、100点という実体のない数字に魂を売り渡している。 「結果をだせ」と求めたアスリートの監督や企業経営者の勢いを知っている。 100点のアウトプット、100点の人間関係、100点の人生。だが、そこにあるのは、精巧に作られたプラスチックの造花のような、息苦しいまでの「正解」だけだ。 僕は最近、意識的に「60点」で生きることにしている。 それは決して、怠慢や妥協ではない。むしろ、40点分の「余白」を確保するための、きわめて戦略的な選択だ。 完璧に作り込まれたシステムには、外部からの風が入る隙間がない。だが、60点の不完全さには、そこからしか生まれない「ゆらぎ」がある。 そのゆらぎこそが、僕たちが生きているという唯一の証明になる。 100点満点が求められる世界で生きて来て、何点の学びを得たから。よく言って「60点」だ。 「100点満点」の状態から何かが生まれることはない。維持することに必死になり、わずかな欠落に怯えるだけだ。 しかし、60点ならどうだ。 残り40点分の不全感が、僕たちを動かす。足りないからこそ、誰かを求め、何かを想像し、新しい価値を「アップサイクル」しようとする。欠陥があるからこそ、そこに美しさが宿る。 セーファの森に吹く風や、野草の力強い苦味、あるいは古い歴史の断片に触れるとき、僕たちは気づくはずだ。自然も、歴史も、決して100点満点の洗練されたデザインではないということに。それは常に不揃いで、過剰で、どこか欠落している。だからこそ、圧倒的なリアリティを持って僕たちの心に突き刺さる。 適当に喋るのではない。 聞いている人間は、その言葉の背後にある「欠落」と「思考」を読み取ろうとしている。完璧なスピーチに心は動かない。不格好でも、60点の切実な言葉が、誰かの40点の空白と共鳴するのだ。 不完全であることは、可能性そのものだ。 100点を目指して窒息するくらいなら、僕は60点の微熱を抱えたまま、この不確かな現実を歩き続けたいと思う。 その40点分の余白に、次なる「創造」を流し込むために。