朝の一時間、ウタキに入る
(イメージ画像) 【聖域の構築 】地域おこしという幻想を超えて 地域おこしという言葉には、常に「自己犠牲」の匂いがつきまとう。 誰かのために、地域のために。 その響きは美しいが、実態はどうだ。朝から晩まで鳴り止まない通知、調整という名の消耗、そして「誰かに期待された役割」を演じる日々。 気づけば、私たちは自分自身の人生を、地域という巨大な共同体に「下請け」に出してしまっている。 斎場御嶽の入り口、御門口(うじょうぐち)を抜けた先に広がるのは、他者の雑音を拒絶する圧倒的な静寂だ。 あの場所が聖域であるのは、そこが「祈り」という純粋な能動性のために守り抜かれた空間だからに他ならない。 私たちの日常にも、その静寂を取り戻す必要がある。 「下請けマインド」から「自律型OS」への転換。 それは、生活の中に自分だけの聖域を強制的に作り出す作業だ。 具体的には、1日の最初の1時間を、他人の声から完全に遮断する。 スマートフォンを置き、メールを閉じ、SNSの喧騒から離れる。 その時間は、地域の課題を解決するためではなく、自分という個体が未来に放つべき「仕組み」を構築するために充てる。勉強であり、執筆であり、創作だ。 地域おこしに関わる者が陥る最大の罠は、「反応すること」を「仕事」だと勘違いすることだ。 投げられたボールを打ち返すだけの反射神経は、あなたを便利な「下請け人」にはするが、価値を生み出す「元請け(主体)」にはしてくれない。 聖域を守り抜くことは、時として孤立を意味する。 しかし、自らが自律した個として立っていなければ、本当の意味で地域を支えることなど不可能だ。 依存し合う「ゆいまーる」ではなく、自立した個が共鳴する「共創」へ。 OSを書き換える。 誰かに言われたからやる時間は、もう終わった。 明日の朝、最初の1時間。 あなたは、スマホを開く代わりに、自分だけの御嶽に足を踏み入れることになる。