聞得大君(きこえおおきみ)


聞得大君の出自と継承

聞得大君の出自については、『王代記』と『女官御紙』によって知ることができます。それによると、第二尚氏の尚円王の御子で、尚真王の妹にあたる月清(音智殿茂金)が初代の聞得大君です。最後の国王である尚泰王の叔母にあたる梅澤王第三女童名真鶴金(玉城按司朝敷夫人)まで、15代の聞得大君のうち、王女、王孫、王曾孫が8人、王妃が7人で、そのうち2人が未婚でした。史料にはありませんが、その後、尚泰王の二女である真鍋樽(伊江朝献夫人安子、安室御殿)が大正13年に就任しています。尚真王の時代(1501年頃~1874年)の約370年間に、16人の聞得大君が任職されました。

『球陽』の尚真9年(1677年)には、「九年、始めて聞得大君を王后に封授することに定む」とありますが、実際にはそれ以後にも尚敬王の長女と次女、尚穆王の長女、尚輝王の三女も就任しています。聞得大君が王姫に任ぜられると、王婿の子孫がその知行を拝授することになるため、それを避けるための配慮がありました。聞得大君の継承法は、王后に封授されたことから原則として嫁ぎ継ぎとなりますが、娘継ぎもあったことがわかります。

聞得大君の地位と役割

「旧琉球藩王尚泰私有財産区分之儀伺」(明治16年)の社寺の部には、「聞得大君殿 神社ニシテ旧藩中へ特別鄭重/待遇ヲナシ当時藩王ノ祈願所ナリ其神職藩王,実母又八伯叔母ヲ以テ之任ス パワ法トセリ世カ家禄給シ且営繕費ヲ与フ、、」とあり、聞得大君は王府から特別に丁重な待遇を受け、当時の藩王の祈願所であり、その神職は藩王の実母や伯叔母が務める慣例であったとされています。世襲で家禄が給され、営繕費も与えられていました。

『女官調支紙』には、5人の聞得大君が知念間切の惣地頭で、それぞれ200万~500石の知行高を給せられており、他の聞得大君も同様に知念間切を与えられ、200石の知行高を給されていたと考えられます。知念間切は代々の聞得大君の所領として明治12年まで約440年間続いていました。『球陽』尚潮王12年には、聞得大君御殿からの要請により知念郡に下知役が設けられています。

聞得大君御殿

聞得大君の居宅並びに社殿は「聞得大君御殿」(チフィヂンウドン)と称され、首里の汀志良次に2ヶ所、大中に1ヶ所あったことが首里の古地図でわかります。戦前は沖縄師範学校第二寄宿舎があった場所です。火災により何度か殿を移っています。聞得大君御殿は広大で、中城御殿に次ぐ規模であり、明治16年の「旧琉球藩王、尚泰、財産調」によると、建物は527坪、地所は2941坪2分でした。

御新下り(うあらおれ)

聞得大君の就任式は知念間切のさやは御嶽で行われ、これを「うあらおれ」と呼ばれ、自分の領地へ新たに下るという意味とされています。聞得大君の行列が通る道筋(首里から南風原、大里(現在の与那原)、佐敷、知念間切まで)は、儀式に間に合わせるために大急ぎで修復が進められました。荒れた道を整え、樹木や雑草を取り除くなどの準備には数ヶ月もかかるほどでした。

斎場御嶽との関わり

斎場御嶽(セーファウタキ)には、大庫理(ウフグーイ)、寄満(ユインチ)、三庫理(サングーイ)といった拝所があり、これらは琉球国王の居城であった首里城内の建物・部屋の名に由来するものであり、王府と斎場御嶽との関わりの深さを示しています。

三庫理には、南側の岩肌から2本の鍾乳石が垂れ下がり、その真下には白い壷が置かれています。鍾乳石はそれぞれ御前として位置づけられ、後方が「シキヨダユルアマガヌビー」、前方が「アマダユルアシカヌビー」と呼ばれ、いずれも聖なる植物を潤す霊水の意味を持ちます。真下にある壷は、鍾乳石から滴り落ちる水を受け、この水の多少によって、聞得大君や中城御殿(国王の世子)の吉兆を占うとされていました。

寄満は、岩壁に対面した拝壇とその一角に植えられた2本のクスノキ(大正3年の天皇御大典記念植樹)が静かな雰囲気を醸し出しています。

御門口(ウジョウグチ)からのびる石畳の参道を進むと、広々とした磚敷きの空間である大庫理に至ります。大庫理の岩山を左に見ながら奥へ進むと寄満が見え、寄満から大庫理へ戻る参道の途中に三叉路があり、そこを左(東側)へ行くと、御嶽の中で最も広い空間に至るのが三庫理です。鍾乳石の前には「貴婦人様お休み処」があり、当時の高級神女たちがそこで休息したと考えられています。

地域活性化との関連

聞得大君に関する取り組みは、南城市の地域活性化において極めて重要な要素とされています。聞得大君の御新下りは、南城市のアイデンティティを象徴する文化遺産であり、地域住民の精神的な支柱となる伝統文化です。聞得大君に関連する聖地は歴史的な価値を持つ重要な史跡であり、適切に保護し後世に伝えることは南城市の歴史と文化を守る上で不可欠です。聞得大君の精神性を尊重し、地域全体でその価値を高めていくことが、南城市の持続的な発展につながると考えられています。

自然体験プログラムにおいても、斎場御嶽を散策し、聞得大君にまつわる歴史や伝説を学ぶ企画が提案されています。語り部が参加者一人ひとりにメッセージを送る「聞得大君メッセージ体験」は、参加者の自然や歴史への関心を高め、地域への愛着を育む効果が期待されています。

商品開発においても、「聞得大君の道しるべ」アロマオイルのように、聞得大君にまつわる歴史や民話を背景とした商品が提案されており、地域文化を反映した高付加価値な商品開発が期待されています。

コメント

このブログの人気の投稿

本陣WEBラジオ/あがりすむ着想ラボ【基本文書編】

あがりすむ着想ラボ

新年度のスタートに!