欠落による実存

(イメージ画像)
振り返りからの着眼: 汚濁(にご)りのない風を待つ、色褪せない希望

南城市の空は、この季節になると、湿り気を帯びた独特の重さを纏い始める。

梅雨の確かな気配。

それは決して不快なだけではない。雨雲の切れ間から差し込む光は、生命の熱量を可視化し、湿った風は記憶の断層を撫でていく。

私のフォトライブラリを遡っても、そこには「鯉のぼり」の直接的な記録はない。

しかし、欠落しているからこそ、その存在感は増幅される。代わりにそこにあるのは、南城市の圧倒的な「空」と「水」の断片だ。

2020年3月30日、夜明け前のビーチ。タイムラプスの中で、闇が紫から琥珀色へと変容していく。その境界線上で、もし風を受けて泳ぐ布の塊があれば、それは単なる伝統行事を超えた「意志」の象徴として機能しただろう。

2021年の初頭、レンズが捉えていたのは「二番ガー」に降り注ぐ光と、雨に洗われた清冽な水だった。海へと還るその流れは、かつて滝を登り龍になると信じられた鯉の物語と、残酷なほど美しくリンクする。

沖縄の鯉のぼりは、都会のビルの隙間で力なく揺れるそれとは決定的に違う。

荒れた海から打ち上げられた5kgの鯛の力強さや、命を繋ぐために食卓に並ぶ魚たちの生々しいエネルギー。

それら「海の恵み」と「生きるための闘い」を肌で知るこの土地で、空を泳ぐ鯉は、より切実な、より具体的な「未来」のメタファーとなる。

亜熱帯の暴力的なまでの生命力の中で、塩気を孕んだ風を腹一杯に吸い込み、真紅や真紺の鱗を躍らせる。

その姿は、経済的な成功や立身出世といった空虚な言葉を寄せ付けない。

必要なのは、汚濁のない風を待つこと。

そして、風が吹いた瞬間に、誰よりも高く、鋭く、自らの「志」を翻すこと。

今年の5月も、沖縄のどこかで風が動く。

子供たちの視線の先で、色鮮やかな影が空を切り裂いているはずだ。

それは、どんなシステムやマニュアルにも依存しない、剥き出しの「 希望」という名の形をしている。

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