世界の景色を変える
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新聞記事からの着眼:アリの口移しと、僕たちの「志」の射程
テレビの画面や新聞の片隅に映る「アリの餌分け合い」のニュースを、多くの人は微笑ましい昆虫の生態として見過ごすだろう。
だが、僕はそこに、現代社会が失いつつある「戦慄するほどの合理性」を見てしまう。
量子科学技術研究開発機構と琉球大学が可視化したのは、アリたちが口移しで餌を分け合う「情報の同期」だった。
それは単なる空腹を満たす行為ではない。一匹のアリが手に入れたエネルギーと情報は、わずか二十分で集団全体の「意志」へと変換される。そこには、淀みも、自己顕示欲も、無駄な会議も存在しない。
かつて琉球という小国が、荒れ狂う大洋の真ん中で「万国津梁」の鐘を打ち鳴らし、巨大な帝国と対等に渡り合った背景には、これと同じ「同期」の思想があったはずだ。
今の僕たちはどうだろうか。
情報は溢れているが、それは「共有」されているだけで「同期」はされていない。
組織の「理念」という名の餌は、一部のリーダーの喉元で滞留し、現場の末端まで届く前に腐敗(ネクローシス)を始めている。
あるいは、自己保身という名のノイズが、全体最適という本来のプログラムを書き換えてしまっている。
僕は思う。
「共創」という言葉を安っぽく消費する前に、僕たちは一度、アリの潔さに立ち返るべきではないか。
オオゴマダラのサナギが、自らの体を一度ドロドロに溶かしてまで黄金の輝きを手に入れるように。
自らの細胞が、全体の生存のために自ら死を選ぶ「アポトーシス」を受け入れるように。
僕たちもまた、古い自分という殻を脱ぎ捨て、隣の誰かと「志」を同期させる勇気を持つ必要がある。
南城市の聖域、斎場御嶽の静寂の中で、僕たちはその「プログラム」を再起動させようとしている。
デジタルという現代の「放射線」を使って、目に見えない「志の流れ」を可視化し、もう一度、この島から世界へ橋を架ける。
それは、回顧主義ではない。僕たちの覚悟を再生(レジリエンス)する、つまり逆境から回復し、より柔軟に立ち直る運動だ。
自然界が数億年かけて磨き上げた「生存戦略」の、二十一世紀的なアップサイクルなのだ。
アリの一噛みが、集団を動かす。
一人ひとりの「一日一志(イチニチイチココロザシ)」が、やがて琉球の、いや、世界の景色を書き換えていく。
僕は、その光景を、冷徹に、しかし誰よりも強く信じている。
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