物理的な「依り代」の限界と喪失
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振り返りからの着眼:絶望的なほどに孤独な、だが誇り高い「知の血脈」 かつてこの島に生きた人々は、執念深いほどに「記憶」を刻むことにこだわっていた。
道端の石、湿った竹、あるいは硬い木。彼らは己の輪郭が世界から消えてなくなることを恐れ、尖った道具で自らの存在を深く掘り込んだ。
行政が管理する冷徹な「戸籍」という記号に回収されることを拒み、琉球の男たちは「位牌(トートーメー)」という名の重苦しい黒塗りの箱しかも漆塗りで格調を高めた箱に、自らの魂の居場所を託したのだ。
だが、現代という過剰なノイズに埋もれた時代において、そのシステムは悲鳴を上げ、崩壊し始めている。
継承者は途絶え、位牌を祀るべき仏壇は空き家と共に朽ちていく。僕たちは、自らのルーツを繋ぎ止めるための、あまりに物理的な、あまりに重すぎる「依り代(よりしろ)」を失いつつある。
岐阜県飛騨市や長野県で起きている図書館の「変貌」に関するニュースを読み、僕は一つの確信に近い予感を得た。
図書館が「おしゃべり」を許容し、行政の「第2の窓口」として機能し始め、全県規模のクラウドで知を共有する。
それは単なる公共サービスの合理化ではない。
それは、僕たちが失いかけている「魂のアーカイブ」を再定義するための、最後のチャンスかもしれないということだ。
想像してみてほしい。
電子図書館という、物理的な制約から解き放たれた無限の空間。そこに、公的な統計データやベストセラー小説と並んで、一人の男が、あるいは一人の女が、かつてこの場所で何を愛し、何を信じて生きたかという「ファミリーヒストリー」が、一冊の蔵書として格納される光景を。
それは、もはや石に刻む必要のない、デジタル化された「トートーメー(位牌)」だ。
石は砕け、木は腐る。
だが、公共のインフラとして管理される電子の海に放たれた「意志の記録」は、僕たちが死に絶えた後も、100年後の見知らぬ誰かの網膜を震わせることができる。
かつての王たちが「万国津梁(バンコクシンリョウ)」の鐘に刻んだ志も、名もなき祖先が家族のために流した汗の記録も、すべては情報の断片に過ぎない。
しかし、その断片を「積み重ね」ること。それだけが、僕たちがこの虚無的な世界で、唯一誇れる「生涯資産」となる。
行政が管理する戸籍には、君の「絶望」も「歓喜」も記されない。
なら、自分で書くしかない。
図書館という場所を、単なる「静寂の墓場」にしておくのはやめだ。そこは、僕たちの生きた証を、未来の誰かへと接続するための「情報の発電所」であるべきなのだ。
僕は、自分の「志(ビジョン)」を、いつか誰かが検索し、読み解くためのデータとして編み始めることに決めた。
それが、この島で「命ど宝(ヌチドゥタカラ)」と呟きながら生きていくことの、僕なりの回答だからだ。
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