歩くこと

(イメージ画像)
振り返りからの着眼:リアルなサバイバル

沖縄が長寿の島だというのは、とうの昔に終わったファンタジーだ。

車に依存し、歩かない。

運動不足のせいで脂肪が内臓にこびりつき、働き盛り世代の男たちの平均寿命は全国43位にまで転落した。

彼らは、厚生労働省が推奨する「週23メッツ・時」の身体活動量すらクリアできずにいる。

だからといって、エアコンの効いた無機質なジムで、ハムスターのようにランニングマシンを回すのが正解だとは到底思えない。退屈は、人間の脳と肉体を確実に殺すからだ。

サバイバルするために必要なのは、フィールドワークだ。「歩きながら学ぶ」ことである。

例えば、琉球史の遺構を歩く。

南城市(ナンジョウシ)の佐敷(サシキ)を起点に、北山(ホクザン)、中山(チュウザン)、南山(ナンザン)の三山(サンザン)を統一した尚巴志(ショウハシ)の足跡を辿るのもいい。

あるいは、久手堅(クデケン)の森深くにある王国最高の聖地、斎場御嶽(セーファウタキ)の傾斜を登る。

かつて祝女(ノロ)や神女(カミンチュ)たちを束ねた最高神女である聞得大君(キコエオオキミ)が、就任の儀礼である御新下り(オアラオリ)で歩いた過酷な道を、自らの足と肺でなぞるのだ。

起伏のある史跡や山道を歩くことは、平坦なアスファルトを歩くよりもはるかに高い、3メッツ以上の負荷を筋肉に与える。

心拍数が上がり、インスリン抵抗性が改善していく。

だが、本当に重要なのはそこではない。

息を切らしながら大庫理(ウフグーイ)や寄満(ユインチ)の空間に立ち、二つの巨岩が寄り添う三庫理(サングーイ)から、神の島である久高島(クダカジマ)へと遥拝(タンカーベーイ)する。そのとき、ただの風景が、圧倒的な「意味」を持った情報へと変わる。

水俣の再生で吉本哲郎が提唱した「地元学」が言うように、フィールドワークの本質は「あるもの探し」だ。

「何もない」と嘆くのをやめ、足元の古い石垣の組み方や、名もなき草花を観察し、記録する。身体を動かしながら、歴史と風土の解像度を上げていく。それは、失われた記憶を現代に呼び戻し、硬直した世界を再定義する強烈な体験となる。

歩きながら学ぶことは、単なるメタボリックシンドロームの予防策ではない。

過去の先人たちが残した一日一志(イチニチココロザシ)の積み重ね(ツミカサネ)を、自分の筋肉と脳細胞に直接インストールする行為だ。

私たちは、歴史に対する深い敬意(ケイイ)を持ち、他者との結(ユイ)を感じながら、生き延びるための知恵をフィールドから獲得しなければならない。

命ど宝(ヌチドゥタカラ)。

歩くのをやめたとき、人は思考も停止する。

だから、外へ出よう。自分の足で歩き、学ぶこと。

それだけが、この退屈で残酷な世界を生き抜き、あなた自身の人生に最高のお家土産(オウチミヤゲ)を持ち帰るための、唯一のリアルなサバイバルなのだ。

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