手触り感のある幸福

(実際の画像)
振り返りからの着眼:孤高の甘美、あるいは南の島の無人販売所

​ 同級生から連絡があったのは、湿り気を帯びた南風が、思考を鈍い麻痺の中に閉じ込めようとしていた夕方だった。

​ 彼は、果物の無人販売所を始めたいと言った。

場所は「自然体験本陣・セーファの里」。
その響きは、かつての王国が持っていた静謐な祈りと、現代の荒廃した効率主義が決して踏み込めない聖域のニュアンスが含まれている。

​ 今日の陳列棚には、バナナが並んでいる。
​ バナナ。それはあまりにもありふれた、しかし同時に、熱帯の官能を象徴する果実だ。

僕はそれを「チャレンジ」と呼んだ。

輸入物の、あの均一化された黄色い死体のようなバナナとは違う。そこにあるのは、土と風、そして容赦のない太陽が作り上げた、野生の生命力そのものだ。

​ その販売所は、同級生である兄弟が互いの体温を感じながら作り上げた、一種の「共作」だ。

現代社会において、血縁という絆を具体的な「形」に昇華させることは、滑稽なほど困難で、それゆえに美しい。僕らの兄弟には出来ない、「宝の経験」だ。

彼らは、システムに依存することなく、自らの手で世界との接点を作り出したのだ。

​ 特筆すべきは、それが「無農薬」であることだ。
​ 農薬を使わないということは、害虫や病気、そして気まぐれな自然の暴力と真正面から向き合うことを意味する。

その対価として得られる美味しさは、甘ったるいだけの砂糖の塊とは本質的に異なる。舌の上で弾けるのは、大地の記憶だ。洗練という言葉では片付けられない、野蛮で、かつ透き通った圧倒的な「本物」の味。

​ バナナの一切れを口に含んだ瞬間、僕は確信するだろう。

 この島にまだ、僕たちが守るべき「手触り感のある幸福」が残っていることを。

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