選択肢は、常に私たちの手の中にある。

(イメージ画像)
本からの着眼:王国の再建、あるいは「自己破壊」という名の甘い麻薬
 アメリカでベストセラーになっているという本があった。これに私はふと、かつての琉球の王たちが眺めていたであろう、あの残酷なまでに青い海に繋げた。

 そこには、戦慄するほど冷徹な真実が書かれていた。
人は「怠惰」だから動けないのではない。変化によって失われる「安心感」という名の、安っぽい麻薬に溺れているだけなのだ。

私たちは、自分が傷つかないためなら、人生そのものを差し出すことさえ厭わない。それを「自己破壊」と呼ぶ。

 だが、考えてみたい。
かつての琉球が、ただ「安心」だけを求めていたらどうなっていたか。

 尚巴志が三山を統一し、尚真王が中央集権を成し遂げたあの時代、彼らが向き合っていたのは、文字通りの「混沌(カオス)」だった。

内部には反乱の種を抱える按司(あじ)たちがいて、外には荒れ狂う東シナ海がある。彼らにとって、感情に流されることは即、国家の滅亡を意味していた。

 彼らが選んだのは、感情という名の嵐に翻弄されることではなく、それを大胆に「交易」というシステムに組み込むことだった。

 嫉妬も、恥も、あるいは過去のトラウマも、すべては異国から届いた「未整理の交易品」に過ぎない。重要なのは、その中身に一喜一憂することではなく、理性の光を当て、それが自国(自分自身)にとってどのような価値を持つのかを再定義することだった。

 「自分の心の赴くままに」などという甘い言葉は、統治能力を放棄した者の言い訳だ。

 真の王者は、不快な感情をあえて味わう。

それを避ければ、問題は慢性化し、国家(人生)は内側から腐敗していく。必要なのは、がらりと人生を変える魔法ではない。サンゴの石を一つずつ積み上げるような、執拗なまでの野面積みの「マイクロシフト」だ。

 私たちが学ぶ「琉球王学」は、単なる懐古趣味ではない。

 それは、自分という名の王国を統治するための、きわめて現代的で戦略的な心理学だ。

負の感情を「黄金言葉(くがにくとぅば)」へとアップサイクルし、理性という名の進貢船を出す。

 安心感というぬるま湯に浸かって一生を終えるか、それとも不快な真実を引き受け、自らの手で「世替わり」を起こすか。

歴史は学びであっても、実行できるのは私たちだ。

 選択肢は、常に現代に生きる私たちの手の中にある。

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