「精進」という言葉に値する仕事
(イメージ画像)
SNSからの着眼:聖域のショートブレッド 那覇の街を歩けば、どこにでも「石敢當」はある。
丁字路の突き当たり、あるいは古い石垣の隅。それは魔除けという名の、ある種の実用的な記号だ。だが、その記号が「最優秀賞」というレッテルを貼られた瞬間、凡庸な日常は突如として意味を持ち始める。
首里にある「なぎいろ」(伊波良子さん)の石敢當ショートブレッドが、那覇市長賞を受賞したという。
それも二度目だ。一度目はラフテー、二度目は焼き菓子。
一見すると一貫性に欠ける感じのラインナップに思えるかもしれないが、そこには「沖縄の今と昔を接続する」という、極めて強固で、暴力的なまでに純粋な意志が貫かれている。
多くの人間は、伝統を「守るべき遺物」だと勘違いしている。
だが、それは間違いだ。伝統とは、現代という戦場で使いこなすべき「武器」でなければならない。
首里城の火災から7年。正殿が再建されようとしている今、人々は象徴を求めている。
このショートブレッドは、単なる菓子ではない。
失われた王国の記憶を、バターの香りと共に現代人の口腔内へと強制的にデリバリーするデバイスなのだ。
特筆すべきは、その製造過程に介在する「ネットワーク」の質だ。
品質を維持する農家、型を抜き続けるスタッフ、そして就労継続支援B型事業所「アルク」の作り手たち。ここには、甘ったるい慈善活動の匂いはない。そこにあるのは、それぞれの持ち場でプロフェッショナルとしての機能を果たすという、静かな、しかし確かな「生存戦略」だ。
誰かの役に立ちたい、という言葉は往々にして空虚に響く。だが、この菓子を介して結びついた人々は、それぞれの「やり甲斐」という報酬を冷徹に、かつ確実に手にしている。それは、贈る側と贈られる側の間に、一瞬だけ通う「チムグクル」という名の熱量だ。
希望という言葉は、安っぽくて好きではない。
だが、この小さな石敢當の形をした菓子が、首里や那覇の経済を、そして人々の意識を僅かでも変質させていくのなら、それは「精進」という言葉に値する仕事なのだろう。
結局のところ、僕たちが求めているのは、過去を懐かしむ感傷ではない。
伝統という名の冷たい石を、いかにして現代の血の通った「生きる糧」へと再定義するか。
その解のひとつが、ここにある。
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