60点の余裕
(イメージ画像)
新聞からの着眼:ニワトコの受粉、ケシキスイの味、そして琉球の凪(なぎ)「損切り」という言葉を聞くたび、奇妙な不快感を覚える。
それは、去勢された飼い犬が、失った器官を思い出して吠えるような、虚無的な響きを持っているからだ。
資本主義の最前線で戦う者たちは、それを「経営判断」と呼び、冷徹な数字のゲームとして語る。「結果」を出せと。
だが、彼らが切り捨てているのは、本当に「損」だけなのだろうか。
その背後に、豊かな未来を育むはずだった「土壌」そのものを、コンクリートで塗りつぶしているような、形容しがたい傲慢さを感じる。
先日、神戸大学の研究チームが発表したニワトコという植物の記事を読んだ。
身近では、「ソクズ(クサニワトコ)」として見られる。
ニワトコは、白い小さな花を咲かせる低木だ。その実には、ケシキスイという甲虫の幼虫が入り込む。幼虫は実の内側から種子を食べる、いわば天敵だ。
従来の植物学の常識では、ニワトコは侵入者を殺すために、実が熟す前に地面に落とすとされていた。
「制裁」だ。
だが、現実は違った。
ニワトコが地面に落とした実の中で、幼虫は死ぬどころか、十分に成長し、羽化して成虫になる。そして、その成虫は、ニワトコの唯一の受粉の担い手となり、次の世代に命を繋ぐ。
ニワトコは、天敵に自分の種子という「コスト」を差し出すことで、将来のパートナーを「育てて」いたのだ。
それを、単なる「損切り」と呼べるだろうか。それは、損と益が、まるでメビウスの輪のように、表裏一体となった、あまりに官能的で、完璧な生存戦略だ。
この「ニワトコ流」の振る舞いに、かつての琉球王国が持っていた、靭やかな知性を感じる。
琉球は、中国という巨大な「権威」に対し、朝貢という多大なコストを払った。それは、一見すれば完全な損切りだ。
しかし、その「損」を引き受けることで、琉球は「互市(貿易)」という、莫大な経済的利益を独占した。それは、形(権威)を与えて、実(経済)を取る、という、ニワトコと同じ二段構えの、あまりに戦略的な選択だった。
かつての琉球王は、目先の損失を「切り捨てる」のではなく、それを「未来の富」へとアップサイクルしていたのだ。靭やかに、強かに。
現代の生き方は、あまりに「結果」を急ぎすぎる。
無駄に見えるプロジェクト、手のかかる部下、挫折、失敗。それらを、ただの「サンクコスト」として切り捨て、効率という名の凪(なぎ)の中に逃げ込む。
だが、それは、受粉という未来の奇跡を、自らの手で潰しているのと変わらない。
「ゆいまーる(結)」の精神は、明日、自分が助けられるために、今日、他人のために汗を流す「先行投資」だ。
そして、「恩送り(ウフトゥ)」は、受けた恩をそのまま返さず、別の誰かに、あるいは未来に託すことで、価値を循環させる、最も美しいマネーゲームだ。
ニワトコが落ちた実の中で虫を育てるように、そして琉球が朝貢という「礼」の中に実利を隠したように、僕らも、小さな「損」を、未来の生態系(エコシステム)を豊かにする「苗床」として、あえて抱え込む余裕を持つべきだ。
効率だけを追求するなら、AIにすべてを任せればいい。
僕ら人間が人間であるための最後の砦は、その「効率」の外側にある「無駄」や「余白」を、いかにして「価値」へと昇華させるか、という、その一点にかかっている。
次のプロジェクトで、あえて少しの「無駄」と「余白」を残しておこう。
100点満点を求めず、60点で理解する余裕が必要だ。
それが、いつか我々の元に、新しい風を運んでくる、羽を持ったパートナーを育ててくれると信じて。
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