​「仕合わせ」という仕掛け

(イメージ画像)
仕合わせを「仕掛ける」という設計思想

中島みゆきの『糸』を聴いて、私たちが想起するのは、どこか運命論的で受動的な「巡り合わせ」の物語だ。

だが、先日目にした七十七歳の女性による新聞への投書は、その甘美な解釈に冷や水を浴びせる。

社会人になった孫が彼女に突きつけたのは、「仕合わせ」と「幸せ」の決定的な構造差だった。物事が成就した「状態」を指す幸せに対し、仕合わせとは、仏教的な「縁」や「合わせ目」を意味する。

私たちは、この「合わせ目」の存在をあまりに軽視してはいないか。

琉球王学の核心である「仕次ぎ」という概念を、現代的な「仕掛け」へとアップサイクルすることを提案したい。

先代から受け取ったバトンをただ握りしめるのは、単なる保存だ。

しかし、そのバトン(縁)を触媒として、異質な他者や現代のテクノロジーと意図的に衝突させること。

それが「仕掛け」である。

偶然を待つのではなく、感動体験というアウトプットを逆算し、必然としての「仕合わせ」を設計するのだ。

重要なのは、この「仕掛け」を属人的なひらめきに留めず、「仕組み」へと拡張させることにある。

現場からの一次情報、AIによる多角的拡張、そして脳内での統合。

このインプットのサイクルを止めてはならない。

継続的なインプットという負荷をシステムにかけ続けることで、アウトプットは時代に即して自動的に最適化されていく。

「仕合わせが良い」とは、運が良いということではない。

それは、掘り起こした「縁」という素材を、どれだけ高精度な「仕組み」に投入できたかという、極めて知的な設計の結果なのだ。

私たちは、知らない者同士が巡り合うという奇跡を、感動という名の「機能」として生活に実装しなければならない。

孤独を嘆く暇があるのなら、手元にある縁をどう仕掛け、どう仕組み化するかを考えるべきだ。

それが、停滞する現代を「靭(しな)やかに強(したた)か」に生き抜くための、唯一の学問なのだから。

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